7/31(金)ワークショップを開催します
カウンセリングの疑問や、悩みについてお話しています。
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皆さま、こんにちは。もしくはこんばんは。 なりた心理相談室のなりたです。
今日は、少し蒸し暑いですね。 ……と、こうして書きながら、ふと思うのですが
何かに悩んでいたり、思い詰めていたりするとき。 今日が暑いのか寒いのかすら、分からなくなってしまうことはありませんか。
自分が今、何を感じているのか。そしてどんな状態でいるのか。 自分の居心地を感じることすら後回しになってしまう。
今、みなさまはどこにいて、どんな心地でこれを読んでいますか。
そんなふうに、「自分が今、何を感じているか」に少しだけ思いを馳せながら。 今日は、アダルトチルドレンにとっての「回復」とは何か、ということを今の私が考えているところでお話しさせてください。
本やSNS、それからこの相談室でも、 アダルトチルドレンということを大きなテーマとして掲げています。
ただ、いろんな本を読んだり、勉強したりしていく中でいつも感じることがあって。 この「回復」というものの考え方が、人によって本当に違うんですよね。
ある人は、「親を許すことだ」と言う。 許せない気持ちを、親を許すことで、よくしていくんだ、と。
かと思えば、親のことをけちょんけちょんに悪く言うポジションを取る人もいる。
そういう家庭の中で傷ついた、内なる小さな自分を、「癒してあげよう」と関わる人もいる。
これは少し極端だなと思うのですが、「そんな過去は、関係ない」と言い切る人もいる。
逆に、「親を悪く言うなんて」「親には感謝するものですよ」と。 いわゆる世間一般の考え方で諭してくる人もいる。
挙げたらきりがないんです。本当に。
これを読んでくださっているあなたは、どんなふうに感じるでしょうか。 おそらく、ここまで読んでくださる方は、今このテーマで悩んでいる方が多いように思います。 いろんな情報に触れる中で、「回復する」って、一体どういうことなのかが分からなくなっているかもしれません。
── そもそも、アダルトチルドレンって何でしょう。
アダルトチルドレンを考えるとき。 まずはこの言葉がなぜできたのかを知る必要があるのかなと思います。
この言葉は、確か80年代の後半くらい。 海外で生まれて日本に入ってきた言葉です。 そして、ある本をきっかけに広まるようになってきました。
元々は、アルコール依存症――つまりはお酒によって、家庭環境が悪化してしまう。父や母、 そうした大人を取り巻く家庭環境の中で、子どもたちがずっと怯えていたり。あるいは、家族を支えるために、子どもがずっと頑張ってきたり。
そういう家庭でつちかってきた、人との関わり方や、人間関係の考え方。 「人生とは、そして人とは、こういうものだ」という、昔から信じざるを得なかった考え方。 それが、大人になってもいろんな場面で続いてしまっている。
そんな状態を指す言葉です。
これは、病名でも診断名でもありません。 「私はそうなのかもしれない」と、自分を理解するための言葉なんですよね。
── ACはお酒や薬物をやめる、みたいに分かりやすいゴールがない
そして今、お酒という言葉が出てきました。
アルコール依存や薬物依存、あるいはギャンブルのよう行為への依存。 そういったものに、はまらざるを得ない方の中にも。 いわゆるアダルトチルドレン的な経験をしてきた、とおっしゃる方がいます。
もちろん、これは「自分がそう思うか、思わないか」という言葉なので、全員がそうですと言うつもりはありません。 ただ、依存に苦しむ方のお話を聞く中で、家庭環境が話題に上がることはたびたびあるんですよね。
そうなったとき。 たとえばアルコールや薬物のような、形のはっきりした依存であれば、それを「一切やめる」。 お酒なら、量を減らしていって、最終的に「断つ」。 それが、回復のひとつの目安にされています。
これは、とても分かりやすいですよね。
同じ悩みを持つ方たちの自助グループには、「今日一日」という言葉があります。 今日一日、私はお酒をやめる。今日一日、私は薬物をやめる。 やめたら終わり、ではなくて「やめ続ける」。 そこに希望を見出して、その希望を分かち合っている。 そういうグループもあったりするんですよね。
前置きが、少し長くなってしまいました。
そうなると、アダルトチルドレンにとっての回復って何だろう、と私は思うんです。
なぜなら、ACは何かにはっきり依存している、というような分かりやすいものではなくて。 自己評価がすごく低い状態だったり。 人のことがどうしても信用できなかったり。
もっと心の奥底にある、不安や不信感。 そういうものかもしれない。
では、それが「回復する」となったら、どういう状態を指すのだろう。
たとえば、職場でおとなしいとされている人が。 次の日、いきなり底抜けに明るくなって、振る舞っていたら。 逆に驚いてしまいますよね。 「え、大丈夫?」「何かあった?」って、心配されてしまうかもしれない。
でも、これまでアダルトチルドレン的な性格の中で悩んできた方は、それくらい、人生が180度変わるような変化を、求めている方も多いんじゃないかなと。 これまで、いろんな活動の中で出会ってきた方々を振り返ると、そう感じるんです。
あるいは、もう自分はこのままなんだ。一生このままだ。 100%諦めているわけではないけれど、どこかでそう信じている方。 そういう、いくつかの思いの中で、今日も一日を過ごしている方もいるんじゃないかなと。
── 「これで治る」という本に、希望が湧くのに…
冒頭でお話ししたように、「親を許すことだ」とか、「抑え込んできた気持ちを、一気に解放して、抱きしめて、認めてあげよう」とか。 そういうことが回復なんだ、と強く書いてある本を読むと、やっぱり心が動きますよね。 「わあ、そうなんだ」って、希望が湧いてくる。
そういった本や情報を読むと、すごく期待が持てる。
でも、数日経つとその希望は、これまでの生き方にまるで引っ張られるように戻ってしまって。 「こういうふうに書いてあるけど、自分は何もできていない。やっぱり自分はダメだな」と。 さらに落ち込んでしまう。
そんな悪循環の中で、苦しんでいる方もいるんじゃないかなと思うんです。
私自身も、自分の生い立ちや、かつて精神的な不調を経験してきたところがありました。 アダルトチルドレンという言葉は、私自身の人生のテーマにもなっています。
そういうことを発信しているからか。 人にはなかなか話せなかった悩みに関心を持ってくださる方も、たくさんいるんですよね。
だからこそ、一度何らかの形で 「アダルトチルドレンにとっての回復とは何か」について。 この相談室としての考え方を共有したほうがいいのかなと思い、いまお話ししています。
これまで出会ってきた方々の。 表情やときには涙、その態度の数々を思い出すと…
「アダルトチルドレンにとっての回復はこれですよ」と、決めつけるようなことは私にはできないなと思うんです。
「これさえやれば、あなたのその性格は、すぐに治りますよ」。 そんなふうに言い切る文章を書けば、いい意味でも悪い意味でも、注目されるかもしれない。 「だったら、やってみよう」と思ってくださる方も、いるかもしれない。
でも、そうやって断定してしまうと。 その考え方に当てはまらなかった人
――たとえば「親を許しましょう」と言われても、どうしても許せない人が 「許せないあなたが悪いんです」ということに、なってしまう恐れがあるんですよね。
それは本当に悲しい。 やっぱり違うなと思うんです。
もちろん、いろんな発信をしているカウンセラーや支援者の方々がいて。 それで多くの相談者さんが少しでも人生がよくなっていく実感を得ているなら。 それは幸せなことだと思います。
ただ私は、 居場所づくりのような場にも、参加をしたりこれまで自分で主催したりしてきました。 頻度は減ってきたのですが、細く長く、続けていきたいと思っているんです。
それを続けられるのは、「何かで言い切って、納得できる人ばかりじゃない」という思いが、どこかにあるからなんですよね。
── 頭ではわかっている。でも、心がついてこない
では、カウンセリングにおいて… ここでは便宜上「回復」という言葉を使いますが――よくなっていくとは、何なのか。
頭ではわかっている。 でも、心が辛い。親に対して申し訳なさも持っている。 そういう方もたくさんいます。
頭ではわかっているのに、心がそれを拒否している。 そんな頭と心の葛藤。
「自分は、この過去をこういうふうに解釈していくんだ」。 「親との関係も、私はこう感じているし、これからもこの気持ちを抱いていくんだ」。 そんなふうに、頭と心が、腑に落ちていく感じ。
それが私は、ひとつの回復の指針となるポイントかなと考えています。
頭でどうこう、だけじゃなくて。 心が追いついている。 以前、🔗読むカウンセリングにも書きましたが、心が「イエス」と言っているということ。
そうすると。 今後似たような場面に置かれたとしても。、納得を持って何か行動を起こせたり。 ときには、我慢するという状況に置かれても、心が納得している分、受けるダメージが今までより小さくなったり。 そこから立ち直っていける。
落ち込んだ気持ちも、回復していく。 これをレジリエンスと言ったりします。 その力が高まっていくことが、ひとつの指針になるのかなと思います。
なので、今お話ししたことを振り返ってみると。 「これが答えです」というものはないんですよね。
「親に、完全に怒り切りましょう」と勧めるわけでもない。 カウンセリングの中で、「こういうふうに過去や親を片づけていくんだ」という方向に、私が無理やり持っていくのでもない。
その方自身の心が、「自分は、こっちに行くんだ」と腑に落ちる。 相談者さん本人がそこへ行けるように。 カウンセリングの中で、お供させていただく。
「支援」という言葉が、あまり好きではない方もいるので、あまり積極的には使わないのですが、 そんなふうに精いっぱいのご支援をさせていただいています。
なぜなら、 ご自身で最終的に決めたことや腑に落ちたことは、 本に書いてあるものを貼りつけるよりも、ずっと納得感が違うからなんですよね。
本人に、力が戻っていく。 そんなカウンセリングでありたいと思っています。
この相談室では、基本的に「セラピー」という言い方をしています。
理屈だけじゃなくて、 葛藤が起きているときの体のモヤっとする感じ。頭がズキズキする感じ。 頭の中に、かつての父や母が住み着いていて、 「ああしなさい」「こうしなさい」「こうあるべきだ」と、今も響いてくる。 そのズキズキとした感じ。
そういう、声にならない声も大切に扱っているから、 私は「心理セラピー」という言い方をしているんです。
── 涙の意味は、ひとつじゃない
たとえば、涙。 涙を流すことってありますよね。もちろん、私にもあります。
でも、この涙。 悲しいから泣くだけじゃないんですよね。
悔しくて泣くときもある。 怒っているんだけど、それが言葉にならなくて先に涙として出てくることもある。
我慢することしか知らなくて。 でも心は確かに、悲しくて、悔しくて、分かってほしくて。 そうして涙が出ている。
私が「心理セラピー」と呼ぶのは、 こうした、涙の持つ意味――つまりは、悲しいだけじゃない、その奥深い気持ちにも、自分で気づいていく。 これまで気づけなかった自分に気づく。 それを、認めて、ねぎらって。 自分で自分のことを、少しでも、愛のまなざしで見ていく。
そんな関わりの中で。 これまでの辛かった気持ちが、少しでも軽くなったり、まだ痛みはあるけれど、前ほどは気にならなくなったり。
そして、その痛みが軽くなった分。 「今、自分が抱えている課題は何だろう」「未来をよくするために、いま何ができるだろう」。 そんなふうに、今と未来に目が向くようになっていく。
そういうプロセスが、あるなと感じているんです。
── 100人いたら、100通りの回復がある
ここにも、「これが正解」というものは、ないんですよね。 むしろ私は、100人いたら100人違うと思っています。
私自身も、何か悩んだら答えがほしくなる人間です。 でも、100人いたら、100人違う。
その100人分の物語を、「こういう考え方しかない」とくくるんじゃなくて。 その100人分の思いを、少しでも一緒に考えていく。 その中で、最善の選択を、相談者さんご本人が自ら選べるように。 そのお手伝いをさせていただきたいなと思っているんです。
ここまで読んでくださって、どう感じたでしょうか。
「その通りだ」とか、「言ってくれて、ありがとう」と思ってくださったなら。 もちろんうれしいですし、ありがたいなと思います。
でも。 「いや、私は、私なりの考え方があるんだ」。 そう思った方がいたら… どうか、その気持ちを大切にしてほしいんです。
それは理屈ではなくて、心が「ノー」と言っている、ということだから。
そこを一段だけ深く見つめてみると。 「私が本当に求めているものは、何だろう」 「私が大切にしている価値観は、何だろう」。 そんなことに気づけるチャンスが、あるかもしれません。
目に見える何かがあって、それを解決したいということであれば。 そのために何が必要かを考えていく――コーチングのような関わりが、合っているのかもしれません。
でも、ここに関心を持って来てくださる方は。 そんなふうに言い切れる気持ちを持っている人ばかりじゃないと思うんですよね。
もし、その「一段深く」をひとりで見つめるのが難しいと感じたら。 そのときは、当相談室は皆さまのつねに皆さまの近くに在りたいと思っています。
100人分の物語を、ひとつにくくらずに。 あなたの思いを、少しでも一緒に考えていけたらと思っています。