満員御礼
満員御礼
~忘れ得ぬ心の痛みとともに生きる~
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2026年2月22日(日)
静岡市番町市民活動センター
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主催:静岡アダルトチャイルドの会
後援:静岡市教育委員会
講演会の終了後に
「学生に向けて、“自分がどこに気を使っているのか”を考える機会がほしい」
という、うれしいお言葉をいただきました。
公演の最後に行ったワーク
「気を使うシート」は、関連スライドとあわせてダウンロードしてご自由にお使いいただけます。
教育・福祉・職場・そして個人の振り返りに
それぞれの現場で、お役立ていただけたら幸いです。
※現場に合わせて加筆・修正される場合は、改変していることをシート内に明記うえでご使用ください。
【気を使うシート】
【関連スライド】
『今まで、家族のことは誰にも話せませんでした・・・』
かつては奇妙に聞こえていた「アダルトチルドレン」という言葉が、
今や私の人生を理解する大切な鍵となって早6年。
これまでの活動を通して、多くのACの姿と、家族への複雑な思いを聴いてきました。
幼い頃に、養育者との関係で感じていた「生きづらさ」と、大人になった私はどう向き合うのか。
いまだ癒えない心の傷や精神疾患、依存、人間不信、無力感、恥や罪悪感...
リアルでは語りづらい <幼き日の家庭環境>を、ひとりのACとして正直に話しながら、
人の顔色ばかりが気になるこの世界で、それでも生きる「意味」をともに考えませんか。
🍀アダルトチルドレンについて、基礎から理解したい方
🍀人間関係の悩みや生きづらさを、一度じっくりと考えてみたい方
🍀家庭環境と私の生きづらさに、なにかピンとくるものがある方
🍀子どもの心の育ちに関心のある、精神保健・福祉にかかわる支援者の方
🍀子どもの「心の安心・安全」について考えたい教育関係者の方
本講演会では、運営者(けんや)自身の生い立ちや幼少期の家庭での経験を軸に、アダルトチルドレンについてお話しします。
講演の中では、次のようなデリケートなテーマについて触れる予定です。
🍀家庭の中でつらい思いをした経験
🍀心の不調や精神障害に関する体験
🍀アルコールなど、依存にまつわる話
🍀運営者自身が考える「しつけと暴力」や養育の在り方
また、母親・父親との関わりなど、
普段の生活では言葉にしづらい家族との関係にも触れます。
そのため、参加される方のお立場やこれまでの経験によっては、
心が揺れたり、聞いていてつらさや違和感を覚える場面があるかもしれません。
本講演会は、他人に話してはいけないものとされがちな家族というテーマについて、
アダルトチルドレンという『自己理解のカギ』を手にした当事者が、
正面から自分の人生に向き合うことを大切にしています。
こうした趣旨ををご理解いただいた上でご覧ください。
\視聴前にちょっと予習/
アダルトチルドレン(AC)とは、機能不全家族で育ったことによって、
今もなおトラウマや傷ついた自尊感情、人との関わりの難しさを抱えている状態を表す、自己理解のための言葉です。
もともとは“アルコール依存症の親のもとで育った子ども”を指した言葉でしたが、
現在ではアルコールに限らず、
さまざまな「安心できない家庭環境(機能不全家族)」で育った人たちを含む広い意味として使われています。
家族のかたちは人それぞれですが、ACにとっての「機能不全家族」とは、
子どもが安心して過ごすことが難しく、
子どもの心が傷ついてしまう体験を感じやすい家庭状況を指します。
たとえば――
🍀怒鳴り声や暴力的な言葉・行動を日常的に受けていた
🍀ネグレクト(育児放棄)を経験していた
🍀家庭内で起きるDVを目にして、怯えながら過ごしていた
🍀自分の本音や気持ちを言うことが許されなかった
🍀きょうだい間で差別的な扱いを受けていた
🍀家庭内の不和や対立によって、常に緊張感の中にいた
🍀親の過干渉が強く、自分で選んだり決めたりすることが許されなかった
🍀自分の気持ちよりも、親の期待や要求を優先せざるを得なかった
🍀「自分なんていなければよかった」と感じてしまうような言動を受け続けていた
また、こうした家庭の中で、
“きょうだいそれぞれが、自然と特定の役割を演じていた”方も少なくありません。
🍀親の期待に応え続けた「しっかり者の子」
🍀緊張した家庭の空気を、笑いで和ませてきた「ムードメーカー」
🍀家族の中で「問題児」として扱われることで、家族の問題を代わりに引き受けされた「家族のいけにえ」
🍀親の愚痴聞き役や“世話役”として働いていた「小さなカウンセラー」
🍀家の中で目立たないように過ごしてきた「私はここにいない子」
これらの役割は、子どもたちが緊張感のある家庭の中で、
もうこれ以上自分の心が傷つかないために、
逃れることのできない家庭の中をを生き延びるために、
子どもなりに身につけた、苦しいながらも、必死の工夫でした。
子どもには、
家庭内で起きている自分の立場を“客観的に理解する力”がまだ十分にありません。
だからこそ、
どれほど理不尽で過酷な状況であっても、
「自分が悪い子だからだ」
「自分さえ我慢すれば家族は平和だ」
そう思い込むことで、心のバランスを保とうとしてきました。
『親が私のことを認めてくれない』
『親から愛情を感じない』
そのような現実を直視することは、子どもにとってはとても恐怖なことです。
また、子どもにとって、親が守ってくれなければ生きていくことはできません。
こうして、アダルトチルドレンにとっての言葉にしづらい“恥の感覚”や“強い自責感”は癒されぬことのないまま、
大人になった私たちの、心の奥深くに残りつづけてきました。
アダルトチルドレンにとって、安心・安全を感じない家庭で育ったことで、
心の中に“3つのルール”が生まれました。
それらは、子ども時代を生き延びるために必要だった一方で、
大人になったいま、別のかたちの『苦悩』として現れることがあります。
① 感じるな(自分の気持ちや欲求を)
子どもは、悲しみや怒りを感じると、さらに自分が傷つくことを学びました。
そのため感情にふたをし、『何も感じないこと』で心を守ろうとしました。
大人になると、自分が何を求め、何を感じているのかがわからず、
限界まで我慢してから初めて、苦しさに気づくことがあります。
② 話すな(自分の本音を)
自分の本音を話すと、状況がさらに悪化するかもしれない。
嫌われたり、孤立したり、見捨てられるかもしれない。
親に何かを訴えても、ただ無視をされ続けた経験があったのかもしれまえん。
そう感じた子どもは、助けを求める声を胸の奥にしまい込みました。
その結果、大人になっても
「他人に頼ってはいけない」
「弱さを見せることは危ないことだ」と感じ、
一人で抱え込み、さらに孤立を深めてしてしまうことがあります。
③ 信じるな(人は信用できない)
期待すると最後には裏切られる。
それは、ある日突然生まれた“感覚”ではなく、
幼いころから積み重ねてきた体験でした。
そうした経験から、
子どもは人を信じることは危険だと学びます。
大人になると、人との距離が極端になり、
親密になりすぎて疲れ果ててしまうか、傷つくことを恐れて自分から離れてしまうか。
安心できる関係の築き方がわからず、
いつも同じような人間関係を繰り返してしまい、苦労することがあります。
子ども時代に身につけざるを得なかった人間関係の行動や考え方は、
大人になってからも、無意識の『心のクセ』となって現れ続けます。
たとえば――
🍀他者から認められることに、必要以上に必死になる
🍀人間関係の中で、見捨てられることへの強い不安を抱えている
🍀他人の顔色ばかりが気になってしまい、嫌われることの不安や恐れに、つねにとらわれる
🍀物事を白か黒かで判断してしまい、その結果、いつも同じような人間関係の悪化で行き詰まってしまう
🍀自分が劣った存在に思えて、人と比べることで、さらに自分を苦しめてしまう
🍀アルコールやギャンブル、自傷行為など、心に空いた穴を埋めるための、やめたいのにやめられない行動に向かってしまう
🍀自己犠牲的な生き方を続けてきて、疲れ果ててしまう
たとえば、いつも我慢していたり、
自分の身を削ってまで頑張り続けている人は周囲から、
「真面目な人」
「優しい人」
と評価されることもあります。
けれど、本人の心の中では、終わりのない見捨てられ不安や、
どれだけ頑張っても満たされない不安や緊張感に、つねにさらされ続けています。
『他人の期待に応えられない自分は価値がないと感じる』
そうした気持ちを話してくれる当事者もいます。
それでも、ここまで生きてこられたのは、
不安や緊張を抱えながらも、
その場その場で、自分なりの努力で、対処を続けてきたからです。
🍀理不尽なことでもつねに我慢し続けたこと
🍀父や母の顔色をうかがいながら生活したこと
🍀自己犠牲的に頑張り続けてきたこと
🍀自分の感情や欲求を抑えること――。
それらは、安心できない家庭環境で生き延びるために、
子どもだったあなたが身につけざるを得なかった行動でした。
今、大人になったあなたが苦しく感じているその「心のクセ」も、
かつてはあなたを守るために必要だったものです。
しかし、子どもの頃に身につけてきたその生き方は、
大人になった今のあなたの生活や人間関係の中で“生きづらさ”として表れていくることがあります。
だからこそ、今の生きづらさは、あなたの性格や努力不足の問題ではありません。
それは、過去を生き抜くために身につけた生き方が、
これからの人生には少し合わなくなってきているという、『心のサイン』です。
そして私たちは、そのサインに引き寄せられるように
アダルトチルドレンという、“自己理解の鍵”を手に入れたことで、
ここから先は、「誰かのために生きる人生」ではなく、
自分の“欲求”や“気持ち”も大切にできる生き方を、
今からでも少しずつ、新しく学びなおしていくことができます。
これまでの生き方を否定する必要はもうありません。
「こんな私じゃダメだ」から、
「こんな私も素敵だ」
そう思える人生に、ともに変容していきませんか?
\視聴前にちょっと予習/
自助グループの始まりは、1935年のアメリカまでさかのぼります。
アルコール依存に苦しみ、社会的地位も人間関係も失ってしまった二人の当事者が、
互いの経験を分かち合うことで、お酒に支配されない生き方を模索したことがきっかけでした。
その営みは広く知られるようになり、日本にも「自助グループ」という考え方が伝わりました。
いまではアルコール依存にとどまらず、さまざまな依存症、精神疾患、そして生きづらさを抱える人のために、多様なグループが存在しています。
アダルトチルドレンが抱える悩みの中には、たとえ気心の知れた相手であっても打ち明けられないことがあります。
もし言えたとしても、個々の価値観によって、善悪の判断を下されてしまうことがあるかもしれません。
「親も大変だったんだから、許すことも大切だよ」
「家族の話とか、トラウマとか、重くて聞けないよ」
「悩んでいるのは“みんな”同じだよ。頑張って。」
「〇〇すればいいじゃん、こう考えればいいじゃん。」
そんな言葉で、相談したことを後悔したり、「人は信頼できない」と学んでしまった人もいます。
いまだ癒えない、過去の心の傷をグッと心の奥に押し込み、
見て見ぬふりをしながら生きてきた人も多いでしょう。
アルコール、ギャンブル、薬物、性行為、仕事…。
そうしたことにのめり込むことで一時的に寂しやさ虚しい気持ちをやわらげたり、
いつも同じような人間関係に苦しんでしまったり…。
共依存の関係の中で必死に生き続けている方もいます。
自助グループでは、あなたが今日まで生きてきた人生に、
正しい・間違っていると裁かれることはありません。
それぞれ生きてきた人生の“轍(わだち)”は違えど、
アダルトチルドレンが持つ『生きづらさ』の特徴は、不思議なほど似ています。
時間はかかっても、仲間とともに分かち合い、語り合うなかで安心感や素直な気持ち、
そして「人は必ずしも、私を傷つける存在ではないのかもしれない」という安心安全の感覚が少しずつ芽生えてくるでしょう。
これは、私たちが過去に家庭内で味わえなかった“身体の感覚”です。
実際に参加した仲間たちは、こんなふうに話します。
「誰にも言えなかったことを話せて、心が整理できた」
「自分ひとりじゃないと分かって、ほっとした」
寛容さや多様性が求められる一方で、「自己責任」という言葉のもとに分断が進む時代。本当にこのままでいいのでしょうか?
人は、理屈や正論だけでは動くことができません。
私の存在を、これまでの人生を「聴いてくれた」と身体が感じた時、人は顔を上げる勇気が生まれます。
急がば回れ。
大切なのは、相手を裁くことや説得することの手前にある、少しでも分かち合おうとする姿勢ではないでしょうか。
自助グループの形態はさまざまですが、静岡アダルトチャイルドの会は、
“参加者全員が対等な『仲間』として迎えられます。”
当事者同士が手を取り合い、相互扶助の温かさを感じられる居場所が必要だと当会は考えます。
そのために必要なのは、助ける・助けられるという役割よりもっと手前にある、
『あなたの気持ちを、あなたの存在を、耳と目と心できこうとする態度』
すなわち、傾聴の姿勢です。
それは、かつてアダルトチルドレンが家族の中で味わえなかった『一家団らん』のあたたかさ。
それは、かつてアダルトチルドレンが家族の中で味わいたかった『私の存在が認められている』あたたかさ。
運営者自身もACを自認しており、過去の傷ついた体験や十分に得られなかった愛情とどう向き合うのかを、自問自答しながら活動を続けています。
同時に、自助グループの心理的効果や愛着形成に関する学びを深め、今日も周知活動を行っています。