8/24【聴く音声コラム】を追加しました
悩みが解決していく、何かを克服していく、自分が変化していく。もしそうした言葉を、私たちが実感として受け取れるのだとしたら、それは一体どんなことなのでしょうか。
前回の「🔗アダルトチルドレンから回復するとはどういうこと?」から、もう一歩だけ踏み込んで、カウンセリングのなかで日々感じていることをお話しします。
〔上の再生ボタンから、音声を聞けます〕
皆さま、こんにちは。もしくはこんばんは。なりた心理相談室のなりたです。
以前、「🔗アダルトチルドレンから回復するとはどういうこと?」という音声ブログを収録しました。そのなかで、回復とか、物事が良くなっていくとか、もしくは自分の思う「良くなっていく」という目標のレベル、どうすれば自分が納得できる人生を送れるのか、というのは 百人いれば百通りある。本当に人それぞれなんですよね、というお話をしました。
今日はそこから、もう一歩だけ踏み込んだお話をしたいと思います。
私たちにとって、悩みが解決して、何かを克服していく、何かが変化していくとは何なのか。もしそれらの言葉を、私たちが実感のもとに感じられるのだとしたら、それは一体どんなことなのか。
実際にカウンセリングのなかで、相談者の方々の様子に日々触れていって、いま私なりに感じていることがありますので、今日はその話をさせていただきたいと思います。
カウンセリングが、何回かの回を重ねていって、少しずつ深まりを見せてくるとき。
そういうときは多くの場合、相談者さんは初めは「理屈の世界」で物事をお話しくださいます。あのときこういうことが起きて→こうで→こんなことが起きて→こんな感じで、といった具合です。私にこういうことが起きたんだよ、というのを、私が理解できるように、丁寧にお話ししてくださるんですね。
── 理屈の下にある、大切な「良い・悪い」の気持ち
一方で私たちは、その理屈の下のほう、もっと奥のほうに、好きか嫌いか、楽しいかつまらないか、快感なのか不快感なのか、といった、ある意味では子どもっぽいとも言えるような、この「良い・悪い」という感情を、必ず心の奥底に持っています。
そして私たちが悩むとき、葛藤するとき。
それは、その奥深くにある私が大事にしたい、
・好き嫌い
・やりたい、やりたくない
というような気持ちに気づくことよりも、その上にある理屈の世界、つまり
・こうしなければいけない
・ああしなければいけない
・そうじゃないと周りは納得してくれない
そんなふうに理屈で考えるからこそ、自分の本当の気持ちがわからなくなって、大切にしたい価値観に気づけなくなってしまうんですよね。
そして、本音と理屈が葛藤を起こして、やがては自分自身の心を攻撃してしまうこともあります。自分なんてダメだ、とけなしてしまうこともあるでしょう。最終的には、心が少しずつ病んでいってしまいます。少なくとも悩むときというのは、二つ以上の気持ちが必ず働いている。そうしたことに、この段階のカウンセリングを通じて、相談者さん自らが気づいていく瞬間を、私はよく目撃することがあります。
理屈の世界でお話ししてくださっていた方が、セッションを重ねて、いわゆる「自己理解」、そして「他者理解」というものが深まっていくなかで。
あのとき自分はどんな気持ちだったのか、そして、私が本当に大切にしたかった、あるいは、本当は満たされたかった気持ちは一体何だろう。
そうしたとき、私たちは「理屈の世界」を超えてなんとなくだけど、こういうふうに生きていきたいな、とか。できるかできないかは一旦脇に置いておいて、実はこんなふうになりたいんだ、というようなイメージ。
すなわち、これからの人生はこんなふうでありたいな、という、かすかな希望のようなものを――
自己理解や他者理解の、その次のフェーズとして、希望や欲求という形でお話ししてくださる。そういう瞬間にも、私は立ち会うんです。
怒りや悲しみ、これまでの人生の後悔、そして、何かを失った喪失感。ぎゅうぎゅうに押し込んでいた、いわゆるネガティブとされる気持ちに、少しずつ、自ら光が当たっていく。見えないように押し込めていた、その気持ちのエネルギーが、光を当てることによって、少しずつ、少しだけでも和らいでいく。
そうすると、日々のなかの楽しさや安心感、ああ、こういうことをやっているとき、自分は心地いいんだよな、という、米粒一粒ほどの心地よさに気づかれる方が、多いように感じています。
そして、これはとても不思議なことなのですが。
カウンセリングが終わって、次にお会いしたとき、私は初めに、こういうことをお聞きします。
最近はどんなふうに過ごされていましたか。そして、この数週間、あなたがカウンセリングルームを出てから、ご自身のどんなところに気づかれたでしょうか。
そんなふうにお聞きしてみると――
この数週間、私はこういうふうに感じていたけれど、今は、少しだけだけれども、こんなふうにも感じていますよ、とか。
いかに自分が、幼い頃から周りに、あんたなんてダメだ、と言われ続けてきたか、そして、自分が生きている意味さえ……打ち砕かれるような苦労をしてきたか……そんな自分に気づくことができてきました、とか。
いつもならすぐに、人間関係のトラブルのなかで、相手の言ったことに心が反応していたけれど、この間は、反応したときに、ちょっとだけ、こんな言葉を自分にかけてみました、とか。
人生が180度、一気に変わりました、というような、そんな魔法のようなことよりも。
相談者さんが話してくださるのは、ほんのちょっとだけの変化です。でも、確かにそれは、これまでの人生では味わえなかった、新しい自分への可能性。こういうことを感じられる、もしくは、こういう方向を考えることのできる自分がいるんだ、という、新しい自分への可能性として、語ってくださることが、度々起きているんですよね。
だからこそ私は、その貴重な変化の実感を、ああ、そうなんですね、と簡単に終わらせるのではなくて。
それは、あなたにとって、どんな価値をもたらしてくれたんでしょうね、と聞いたりします。そして、今こうして、その変化を語ってくださる、まさに今ここで、この出来事というのは、これまでのご自身にとって、そして、これからのご自身にとって、どんな意味を与えているのでしょうか、と。そういったことを聞くこともあります。
もしかしたら、今回起きた変化というのは、ご本人からしたら、たまたまだったかもしれない。
でも、このたまたまを、いつも自分のなかに確かに感じられるようにするためには、私たちはこれから、どんなことを理解して、どんなことを始めていけばいいんだろう。そんな、希望を持ったお話を、一緒にすることもあります。
心の悩みに私たちが直面するとき、そこに、こうすればいいんだよ、という最高の特効薬がある、と断言する方や、そうした本も、世の中にはいくつかあるのを、私は見ています。
でも、少なくとも私は――
このカウンセリングを通した小さな気づき、そして、日常生活のなかで、ご自身の考え方や行動の変化をもって、自分が起こしていく、この小さな小さな変化を、これからの人生の当たり前にしていけるように。
たまたまを、いつもに、少しずつ広げていくために。相談者さんと一緒に、楽しさだけではなくて、これまで押さえつけてきた怒りや悲しみ、これまでの人生の後悔なんかも、大切に理解しながらセッションを進めていく。
そうしたカウンセリングを、私は大切にしています。
この小さな変化。それは、行動だけではなくて、考え方の変化も、もちろん変化です。こうした小さな変化こそ、もし回復という言葉を使うのであれば、これがもしかしたら、回復のひとつのかたちなのかもしれません。
自分の生き方に、納得のいくような答えや気づきを得ることができた。という、自分の生き方の視点で語られる方もいれば。
他の人との人間関係の変化から、何か自分の人生が、少しだけでも変わってきたような気がする、そんなふうにおっしゃる方もおられます。
なんだかよくわからないけれど、あれだけ悩んでいたことが、なんだか、どうでもよくなった。つまり、悩みが悩みじゃなくなるくらい小さいものになる。そういう、悩みが相対的に小さくなっていくという視点から、ご自身のなかの変化を語る方も、いらっしゃいます。
まさに、以前お話しした、アダルトチルドレンにとっての回復とは、あるいは、悩みを抱えた人にとっての回復とは、百人いれば百通りのやり方がある、というのと同じように。その、変化する入り口、回復していく入り口というのも、皆さんそれぞれに違うんだな、と。そんなふうに、私は思うわけです。
もし、あなたのなかにも、これまでに、米粒一粒ほどの変化……
つまり、「あ、なんだかちょっと、自分が変わったかもしれない」とか。
「ずっと苦しかったけれど、この一瞬だけは、なんだか心地よかったな。」
そんな体験が、もしあったのだとしたら。
それはきっと、あなたが、あなた自身が大切にしてきた、理屈の、もっと下にある、好きか嫌いか、やりたいか、やりたくないか、心地がいいのか、心地が悪いのか。そんな、あなた自身の大切な価値観に戻っていくための、小さな、けれど確かな、回復や変化をしていく入り口なのだと、私は感じています。
今日も、お聞きくださって、どうもありがとうございました。
※文字の一部は、読みやすさのために編集を加えています