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静岡県精神保健福祉センターが主催する依存症講演会に、アダルトチルドレンをテーマに活動する当事者団体「静岡アダルトチャイルドの会」の代表として、約20分程度のお話をさせていただきました。
当日は、現地とオンラインを合わせて100名以上の参加者とともに、依存症にどう向き合っていけばいいのかを考えることができました。
以下、私がお話した20分の文字起こしです。
2026.10.23(土)
静岡アダルトチャイルドの会
語り:成田けんや
会場の皆さま、そしてZoomでご覧になっている皆さま、はじめまして、静岡アダルトチャイルドの会の成田と申します。
依存症のご家族のための講演会に、アダルトチルドレンを扱っている団体の人間が呼ばれる、これはとても珍しいことだと伺っています。そうした言葉を聞くと、正直に言うと、私は少し浮いているような気持ちにもなります。
でも、呼んでいただけたということは、私にしか話せない、何か皆さまにお届けできる立場があるんじゃないか、そんな希望も確かに感じています。
なぜ私が今ここに呼ばれたのでしょうか。今日のこの20分は、その問いを皆さまと一緒に考えながら、お話しさせていただければと思います。
まずはじめに、皆さまはアダルトチルドレンという言葉の意味をご存じでしょうか。アルコールやギャンブルなど、さまざまな依存症の分野に関わっている方なら、一度は耳にしたことがある言葉だと思います。
ただ、アダルトチルドレンについて1から100まで説明しようとすると、私の計算では105時間かかってしまいます。これを20分に収めなければいけないので、申し訳ないのですが、詳しい説明は省かせていただくことを、どうかお許しください。初めて聞いたという方がいらっしゃれば、お手元のスマートフォンやパソコンで調べながら聞いていただければと思います。
この言葉は、80年代の終わりから90年代にかけて日本に入ってきた言葉であり、考え方だとされています、もともとは、アルコールをはじめ、さまざまな依存症のある家庭で育った子どもたちを指す言葉として、広く知られるようになりました。
荒れた家の中で、生き延びることに必死で、そこで身につけた行動のパターンが、大人になってからの人間関係の生きづらさや、自分は何のために生きているんだろうという、存在の価値にまで深く影響している、そうした人たちが、大人になって自分を理解するために生まれた言葉とされています。
今ではその意味が広がって、依存症の家庭かどうかに関わらず、家の中が安心・安全ではなかった家庭で育った人を広く指す言葉になりましたが、その始まりは、依存症の家庭だったんです。
私が主宰している静岡アダルトチャイルドの会は、今年の4月で4年目を迎えることができました。同じ経験を持つ人たちが体験を分かち合う、いわゆる自助グループです。
なぜ3年以上も続けてこられたのか、それは何よりも、自分はアダルトチルドレンなんだと感じている仲間が、毎回欠かさず来てくれるからです。実は今日も、こうして会場を見渡すと、いつも来てくれている仲間の顔があることに気がつきます。
幼いころ、緊張感のある家の中で私たちは確かに傷ついてきました。いつも親の顔色をうかがって生きてきた。もっと言えば、親の顔色をうかがわなければ、この家の中にいさせてもらえなかった、とも言えます。
「嫌なら出て行け」「そんなによそがいいなら、よそのところへ行け」、こんな言葉を、皆さまも一度は言われたことがあるんじゃないかなと思います。
でも、子どもがよその家になんて行けるわけがないんです。親もそれを分かっていて言っているんです。どんなにうちのやり方に心を傷つけられても、何をしてもケチをつけられても、人によっては暴力や、「あんたなんか生まれてこなければよかった」という言葉を向けられても、子どもは外に出ていくことはできません。だからこそ、ただただその日々を耐えるしかなかったんです。
会に来てくれている仲間の多くは、こう話してくれます、「自分なんて生きている価値がないと、ずっと思っていた」「いつも親の顔色をうかがって生きてきた」「今だって、何で生きているのか分からない」。
思い返せば、私にもそういう時期があったなと思います。
これはもう公表していることなんですが、私は高校を中退して、通信制の高校に転校しています。その際、お医者さまから統合失調症という診断を受けました。
自分で自分の頭をガンガン殴りつけることもありました。外のビルを見上げると、もう一人の自分が落ちていく様子が鮮明に見えたり、道を歩けば、すれ違う人たちがみんな僕の顔を見て悪口を言っているように聞こえたり、自分の考えていることが相手に伝わってしまっている気がして、「ごめんなさい、ごめんなさい、そんなつもりじゃないんです」と謝っていたり、心がずっとSOSを出していたように感じます。
心の病気について、原因をたったひとつに絞ることはできません。環境のこともありますし、私自身の、そのときに受け止められるキャパシティもあったかもしれない。だからこそ、軽々しく原因を言うことはできません。
ただ、ここからは一人の当事者の語りとして聞いてください、幼いころの家の中の緊張感や、自分という存在の価値を低くせざるを得なかった体験の数々、それを自助グループで仲間たちと分かち合ううちに、あのころの症状は、まさに私の体の内側から出ていた、心からのSOSだったんだなと、今ではそう解釈しています。
すごく寂しかったです、高校生のころは、消えたくて消えたくてたまりませんでした、深夜2時、高い建物ばかりを見上げながら、自転車で走り回っていました。
そして今日は、この会場に、私の通信制高校時代の恩師が来てくれています。
先生は私に連絡をくれました、「成田、こういうのに出るんだって、すごいな」。そう言ってくれたあとに、こうも言ってくれたんです、「俺も行ってもいいか」。
もしかしたら、先生は何かに気をつかってくれていたのかもしれません。心がとても不安定だったころの私を見ていた先生の前で、家の中で何があったのかを話す、お互いにどこか恥ずかしさや、話しちゃいけないんじゃないかという、気が引けるような感じは、今も私の中にあります。
でも、静岡は狭いです、こうして活動している以上、私は顔も名前も経歴もすべて出しているので、せっかくなら、この際先生に伝えたいと思います。
先生、高校生のころの私はどんな子どもだったでしょうか。
高校を卒業して16年くらい経ったと思います。当時の自分は、妙に理屈っぽくて、どこか冷めたような、大人びた子どもだったんじゃないかなと思うんです。つらいという気持ちはぜんぜん出さずに、変におちゃらけたり、物事を一歩引いて冷めたように見るような態度をとっていたり、そんなふうに、先生の前ではふるまっていたような気がします。
先生から、私はどう見えていましたか。苦しそうに見えていましたか。
あのころの私は、言葉にできなかったんです。家の中で何が起こっていたのか、自分の価値を下げられるような言葉の数々、つらくてつらくて、消えたい気持ち、本当は先生たちに伝えたかったんだと思います。でも伝えられなかった、伝えちゃいけないと思っていたし、もっと言えば、このつらさや寂しさは、どうにも言葉にするのが難しかったんです。
ヤンキーみたいに非行に走れるほどの度胸もなかった私は、たまっていく「俺なんて価値のない人間だ」というエネルギーを、全部自分にぶつけて生きてきました。ときに自分の頭を殴りながら、「お前なんてクソ野郎だ、早く消えろ」と、自分に言い続けました。
まさに先ほどお話しくださった先生がおっしゃっていたように、心のリストカット、心の自傷行為をずっと続けていたんだと思います。
先生。僕は、このつらさをあなたに聞いてほしかった。今、素直にそう思います。
学生時代を思い出すと、少し懐かしく、でも苦しい、そんな気持ちになります、もちろん、今怒っているわけでも、恨んでいるわけでもありません、ただ、私はこのつらさを、誰かに聞いてほしかったんだと思います。
先生、今あなたの学校にも、きっと私と同じような環境に置かれている子どもが、一定数いるはずです。必ずいるはずです。その子たちは、まず言葉にできないんです。
なんだったら、家族がこうなったのは自分のせいなんだと、そんなふうに受け止めている子もいるはずです。どうか、声にならない声に、耳を傾けてください、彼らは必ず、一定数いるんです。
そして大人になってから、私はお酒に頼る日々が増えていきました。
20歳になって初めて飲んだビールには、とても感動しまし。大人になったような気がしました。でも、いつからでしょうか、仕事の人間関係でつまずくようになって、本当のつまずきは学生のころからあったんですが、その感覚に耐えられなくなると、私はお酒という、安直だけれど、確かに効き目のある、まさに「お薬」に手を出すようになりました。
あんなにおいしかったビールが、いつのまにか、涙を流しながら飲む、苦くてまずいものになっていました。
仕事を辞めて、引きこもった時期もありました。安くて大きな焼酎を買ってきて、そのままではまずいのでお茶で割って、泣きながら酔いが回るのを待って、眠って、夕方になったらまた飲む、そうしないと、やっていられませんでした。
外から聞こえてくる子どもたちの声や車の音、そのすべてが、「お前は何をやってるんだ」「お前なんか生きている価値がない」と言っているように、確かに聞こえていたんです。
ある意味では、お酒があったからこそ、今日まで生きてこられたとも言えます。
会の仲間たちも、それぞれの依存や、そうせざるを得なかった体験を話してくれます。ギャンブルにのめり込む、お酒にのめり込む、性的なことにのめり込む、人間関係にのめり込む、楽しいからやっているわけじゃないんです、嫌な気持ちから逃れるためにやっているんです。
楽しいことや気持ちのいいことには、人は必ず飽きます、違う刺激がほしくなります、でも、寂しさを埋め合わせてくれるものには、人は飽きることがありません。
今日は、当事者の方も、そして支援者の方もいらっしゃると伺っています。まずは、当事者の方にお伝えしたいと思います。
あなたが何の当事者なのか、私には分かりません。ただ、依存という言葉のもとで、苦しさ、切なさ、みっともなさ、恥ずかしさ、惨めさ、怒りや悲しみ、もしくは消えたい気持ちを抱えながら、今日まで生きてきた方たちだと思います。
私は3年以上会を続けてくるなかで、依存症とアダルトチルドレンには、どこか近いものがあるんじゃないかと感じています。それは、あなたがアダルトチルドレンであると決めつけたいわけではありません。ただ、仲間との語りのなかで、確かにそう感じている自分がいます。
もし家に帰って、もしくはパソコンの前で、この言葉に何か惹きつけられるものがあるなら、ぜひ調べてみてください。何か本を読んでみてください。私は、あなたがここ静岡市に来てくださるのを待っています。
今は月に1回程度、土曜日か日曜日に、静岡駅から近い番町市民活動センターで開いています、参加費は200円です、お金が払えない方は払わなくても結構です。予約もいらないので、ぜひ当日そのまま来てください。
参加の条件は、ただひとつだけです。自分はアダルトチルドレンだと思う、それ一本です。仮に支援者の方であっても、ご自身がアダルトチルドレンだと思わないのであれば、参加はできません。それくらい、フルクローズドの会になっています。
あなたの中にある、「こうでなくちゃいけない」「自分なんてダメだ」という思い、その裏にある、あなたがしてきた体験の数々、依存に至るまでのあなたの気持ちを、一緒に分かち合いませんか。それは何か効果をもたらしてくれるかもしれないし、もたらしてくれないかもしれない、それは分かりません、でも私は、この会が必要とされなくなるその日まで、あなたが来てくれるのを、確かに待っています。
そして、会場の支援者の皆さま、オンラインでご覧になっている支援者の皆さまにも、お話ししたいと思います。
もう一度質問をさせてください。なぜ私が今日、呼ばれたのでしょうか。
依存症は脳の病気です、そうなんです、私の頭を開いて見てみれば、どこかの部位が過剰に反応していたり、幼いころの経験から、怒られたり責められたりしたとたんに考えることをやめて、脳がフリーズしてしまう。そんな脳の働きも、今の科学ではある程度分かるようになってきました。
でもね・・・忘れたくないのは、なぜ私たちはそうやって生きざるを得なくなったのか、それを考えていくことにも、大きな価値があると思うんです。その「なぜ」をたどっていけば、依存せざるを得なかった背景に、まだ見えていない可能性が、ひとつ、ふたつと見つかるような気がしてならないのです。
正直にお話しすると、活動を始めてから3年間、私はほとんど誰にも相手にされませんでした。依存症の分野、ひいてはメンタルヘルス全体において、アダルトチルドレンは深い関わりがあるんじゃないか、そう思っていろいろな団体さんを訪ねてみたり、メールを送ってみたりしましたが、多くの場合は「そういうのもあるよね」で終わってしまったり、お返事をいただけなかったり、興味は持っていただけたとしても、その先の深い関心にまでは至りませんでした。
それが今、やっとです。静岡県のこうしたイベントに呼んでくださったり、お医者さまと一緒に依存症を考えることができたり、4年目を迎えて、やっと今、いろいろな方々に相手にしていただけるようになってきました。
アダルトチルドレンという言葉が入ってきた80年代後半から90年代、日本においては「親のせいにするな」という一定のご批判があったと伺っています、もしかしたら、今もあるかもしれません、今聞いてくださっている皆さま、ご覧になっている皆さまのなかにも、批判的なご意見をお持ちの方がいらっしゃるかもしれません。考え方がいろいろあることは承知しています。
ただ、依存症とどう向き合っていけばいいのかを考えたときに、アダルトチルドレンというひとつの鍵を手にしながら、私たちのあいだに共通点を見つけていけませんか。
そもそも、依存症がよくなるって、どういうことなんでしょうか。お酒に苦しむ人が一滴も飲まない生活を手に入れれば、それでいいんでしょうか。
それとも、その人にとって、その先にもっとよいと思える方向があるのか、私にはまだ分かりません。おそらく、ここにいる皆さまも、きっとまだ分からないはずです。だからこそ、皆さまの知恵を持ち寄って、少しずつでも歩みを進めていきたいんです。
もし私の活動に興味がある方がいらっしゃいましたら、ホームページのメールフォームからご連絡ください。遠慮はいりません、もしお会いできるなら、直接会いましょう。お茶でも飲みながら、一緒に考えましょう、一緒に悩みましょう、一緒に分かち合いましょう。あなたからのご連絡を、お待ちしています。
あらためまして、先生。今日は来てくださって、本当にありがとうございます。
そして、今日ここに来てくれた仲間のみんな。あなたがいるから、この静岡の会は今、活動4年目を迎えています。代表は僕ひとり、運営しているのも僕ひとり、でも、私の会ではありません。あなたたちの会です。
最後に、大きな自助グループで会の終わりに唱和している「平安の祈り」を唱えて、私の体験談を終わりたいと思います。
変えられないものについては、それを受け入れる心の落ち着きを
変えられるものについては、それを変えていく勇気を
そして、変えられるものと変えられないものを見分けることのできる智慧を
どうか私たちにお与えください。
以上です、どうもありがとうございました。