相手に気を使って、不満に思うとき
~これだけやってあげたのに、と思うときの私の気持ちを考える~
8/5【聞く音声ブログ】を2本追加しました
~これだけやってあげたのに、と思うときの私の気持ちを考える~
相手に気を使えば使うほど、気に入られようと頑張れば頑張るほど、なぜか、あとになって、モヤモヤした気持ちや怒りが湧いてくる。
――そんな経験は、ないでしょうか。今回は、その「気を使ったのに、腹が立つ」という、少し不思議な感覚の奥に、どんな気持ちが働いているのかを、一緒に見つめていきます。
〔上の再生ボタンから、音声を聞けます〕
皆さま、こんにちは。もしくはこんばんは。なりた心理相談室のなりたです。
今日もこの「聴く音声ブログ」にお越しくださって、本当にありがとうございます。
今日は、少し不思議で、でも、もしかしたら心当たりのある方もいるかもしれない。そんな気持ちについてお話ししてみたいと思います。
それは、相手に気を使えば使うほど、気に入られようとして頑張れば頑張るほど、なぜか、その後になって、モヤモヤした気持ちだったり、怒りだったり、あるいは、そんな自分を責めてしまうような気持ちが湧いてくる、そんな瞬間のことです。
相手のためを思って気を使ったのに、後になってムカムカしてくる。
この感覚、自分でもよく分からない、そう思っている方もいるかもしれません。ですから今回は、この訳の分からなさの裏に、どういう気持ちが働いているんだろう、というところを一緒にちょっと考えてみたいと思います。
相手のためを思って優しくしたはずなのに、あるいは、喜んでもらおうとしたはずなのに、どうして時間が経つと、こんなにモヤモヤして、時には自分自身に腹立たしく思ってしまうのだろう。
そんなふうに感じていると、「自分は心が狭いのかな」とか、「大人げないな」とか、そういう理屈で、自分の感じている気持ちに蓋をしてしまったり、自分自身をさらに責めてしまう、そういう方もいるかもしれません。
ほかの記事でも時折お話ししているのですが、まずは、ご自身が感じている気持ちに、「大人げない」とか「そんな自分はダメだ」というふうに蓋をしたり、責めたりすること。それは、この音声ブログを聞いている間だけは、少し緩めておいていただきたいなと思います。
なぜなら、その怒りや不満、自分を責めたくなる気持ちというのは、あなたがわがままだから、未熟だから湧いてくるのではないんですね。
その気持ちの裏には、必ずと言っていいほど、大事なことを教えてくれるメッセージが含まれているんです。
れでは改めて、気を使うって、どういうことなんだろう、というのを整理してみたいと思います。
気を使うとき、私たちは一体、何をしているのでしょうか。
例えば、本当は自分は疲れているのに、笑顔でいる。本当はそう思っていないのに、とりあえず頷いたり、同意をする。
本当は自分にとって「こうしてほしいな」という思いがあるのに、その自分の欲求は、後ろに置いておく。気を使うとき、私たちはそうやって、自分の内側にある「こうしてほしい」という気持ちを引っ込めたり、後ろに置いたりしている。
そんなことが起きているのかもしれません。
つまり気を使うというのは、主に相手のために、自分の本当の欲求は後ろに置いて、自分の何かを相手に差し出している。そういう働きが起きていると、私は整理をしています。
◇「私はこれだけやったのに」という心の声
そして、ここからが大事だと思うのですが、私が相手に対して差し出したものが多ければ多いほど、心のどこかで、こんな声が生まれてくることはないでしょうか。
「これだけやってあげたのに」
「これだけ、私はあなたに気を使ったのに」
「これだけ合わせたのに」
「あなたのことを、これだけ考えたのに」
その先に続く言葉は、おそらく直接口には出されないけれど、でも自分の心の中では、確かにこう呟いているんじゃないかなと思います。
「どうして、あなたは返してくれないんだろう」
「これだけやってあげたのに、なんであなたは、私に関心を向けてくれないんだろう」
そんな言葉を、心の中で呟くことは、ないでしょうか。
ここには、ひとつの見えない約束事(つまり、期待)が、交わされているのかもしれません。
私は、自分自身の「こうしてほしい」という欲求を引っ込めます。その代わりに、相手に気遣いを差し出す。そして、このやり取りの中で、あなたもいつか、その気遣いを返してくれるはず、あなたもいつか、その態度をもって、私を大切にしてくれるはず。
そんな見えない約束(期待)を、ご自身の中で、きっとこうだろうという思いを持って、結んでいるのではないでしょうか。
でも、これはすごく残念なことでもあるのですが、相手によっては、あなたの優しさや気遣いを返してはくれない。もしくは、自分が納得するレベルのことは、返してくれない。
そうしたとき、私たちは、そのお返しの足りなさに、不満が湧いてきます。怒りが湧いてきます。「なんで返してくれないんだろう」という悔しさも、あるのかもしれません。
それは、先ほど言った「大人げない」とか「自分は情けない」とか、そういうもので割り切れるものではなくて、自分が差し出した分が返ってこないというのは、当然に感じる、心の痛みのひとつでもあるんですね。
今の話を、もう少し想像しやすい例えで話してみたいと思います。
少し想像してみてください。
今、皆さまの前に、ひとつのコップが置いてあります。このコップは、あなたの心をイメージしたコップです。
そして、そのコップに、水をとくとくと注いでいきます。この水が、あなたが誰かに気を使うことのできる、心の余裕だとします。
その水は、たぶん、無限にある方はいないと思います。相手に気を使えば使うほど、心は疲れてきますよね。つまり、相手のコップに水を注いでいけばいくほど、自分の心の水は減っていく。
気を使うことのできる心の余裕というのは、非常に限りあるものなんですね。
さて、そのコップを手に取って、あなたが今、特に気を使っている相手を想像してみます。何人くらい、いるでしょうか。仮に3人だったとしたら、その一人ひとりに、あなたは気を使うという、この自分の心の水を注いでみます。注いだ後、パッとそのコップを見たとき、心の水は、どれくらい残っているでしょうか。
毎日毎日、ヘトヘトに疲れている方であれば、毎日誰かのコップにこの心の水を分け与えて、もうカラカラに乾いている状態かもしれません。
では、その注いだ人たちの中で、あなたがこの気を使った優しさの水を、同じようにあなたに返してくれている人は、果たして何人いるでしょうか。
すぐに想像できなかったとしても、もちろん大丈夫です。ただ、これを少しだけでもイメージしてみることで、実は分かることがあるんです。
それは、自分で自分のこのコップに水を注いであげる、ということが、これまでなかなかできなかった、もしくは経験できなかった人ほど、誰かに注いだ水を、注いだ分だけ返してもらわないと、自分の気持ちが満たされない、という思いを強く抱えている方が多いように思います。
つまりそれは、自分では自分のことを、自分の存在を認めてあげられない。
なんだったら、自分のことが大嫌い。だからこそ、他の人に気を使い続けて、他の人に優しさという名の水を注ぎ続けて、その水が相手から返ってくることを、どこかでずっと待っている。
そういう方も、おそらくこの音声ブログを聞いている方であれば、多いんじゃないかなと私は思います。
ところが、先ほど話したように、どれだけ相手に気を使っても、優しさの水をあげたとしても、返してくれない、そんな相手もいると思います。
それがやがて、怒りの元になったり、「なんでこんなにやってあげたのに、相手は返してくれないんだ」という不満の元になったりするわけです。
気を使うほど苦しくなるとき、こうした心の仕組みが働いている場合があるんじゃないかな。そして、「ああ、自分にもそういうところがあるな」と感じていただける方が、きっと多いんじゃないかなと思って、今回はこうやってお話をさせていただいています。
改めて、皆さまが気を使って、すなわちコップに水を注いであげている人は、何人いるでしょうか。
そして、そのうち相手が返してくれないような人に向けて、ずっと優しさの水を注ぎ続けていて、返してくれないことに不満や腹立たしさを感じている、ということはないでしょうか。
もし今後、ご自身の中で、自分の心の仕組みが分かったとき、その人に対して、今後も皆さまは水を注ぎ続けたいでしょうか。
今、人間関係の苦しさにいる方がいれば、ぜひ、少しだけでも考えていただければと思います。
そして、「これだけやってあげたのに、あなたは返してくれない」という気持ちの、さらに奥の方へ、私は皆さまと一緒に、考えてみたいと思うんです。
「これだけやったのに」と不満に思う気持ちの裏には、何があるんだろう、と考えてみるわけです。
そうして見てみると、「気を使ったんだから返してほしい」という、その裏にあるのは、私を大事に思ってほしい、私を気にかけてほしい、という思い。
つまり、私自身が満たされなかった気持ちがあるのではないかなと、私は想像するわけです。
それが、姿形を変えて、「これだけやったのに」という相手の態度への不満に置き換わっている。私は、そういうふうに考えています。
だからこそ、そうやって相手に見返りを期待する自分を、「情けない」とか「卑しい」とか、「もう一切信用しない」とか、そういうふうに自分自身を責めることよりも
その不満の裏にある、自分が満たされていない気持ちは何だろう、と考えてみること。私は、それは大変価値のあることだと思います。
我慢しなきゃいけないことでも、恥ずかしいことでもなく、自分が何を感じているかを知っていくための、第一歩になると思っています。
そして最後に、これからのことにも触れておきたいと思います。
さっきのコップの話に、少し戻ってみましょう。
ずっと、誰かにコップの水を返してもらうのを待っていると、このコップは、なかなか満ちていくことは難しいと思います。
相手が、あなたの優しさを搾取する、いいように使う人であればあるほど、水を返してくれることは、きっとないでしょう。
では、自分で自分のコップに水を注いでいくには、どうしたらいいのでしょうか。
それは、先ほども言ったように、「どうしてこうしてくれないんだろう」「どうして返してくれないんだろう」の裏にある、「自分はこうしてほしかった」「自分はこういうふうに扱われたかった」、そんな、私は本当はどうされたかったんだろう、何を欲しかったんだろう、という自分の欲求の方へあたたかい眼差しを向けてみる。
それ自体が、実は、自分の心のコップに水を、一滴、たった一滴からでも注ぐことになっているんじゃないかなと、私は思います。
聞いている方によっては、「たった一滴か」と思われる方も、いるかもしれません。
でも、今まで人に気を使い続けて、自分の心のコップにある優しさの水を、返してくれない人に対しても注ぎ続けた方にとって、自分で自分のコップに水を満たしていくということは、大変新しい経験で、そしてそれが、自分のことを少しでも認めてあげる、少しだけでも愛してあげる、そんなことに繋がっていく大きな一歩だと思っています。
今日すぐに何かができなくても、大丈夫です。ただ、もし次に、こうした不満や怒りが湧いてきたときは、もしかしたらチャンスかもしれません。
相手に向けられた、その思い。それを、ちょっと私自身の内側の心に眼差しを向けてみて、「私はどうしてほしかったんだろう」「私はどんな気持ちが欲しかったんだろう」と、聞いてみる。それからでも、始めていただきたいなと思います。
今日も、最後まで聞いてくださって、ありがとうございました。また、お会いしましょう。ありがとうございました。
※文字の一部は、読みやすさのために編集を加えています