あなたが親からされてきたこと
~過去の痛みとどう向き合えばいいのか~
8/5【聞く音声ブログ】を更新しました
~過去の痛みとどう向き合えばいいのか~
母や父からあなたがされてきたことを思い出すとき…。
「もう終わったこと」「過去のことをいうのはあきらめた」
そんなふうに思っている方も、いるかもしれません。
でも――「終わったことにする」のと、「なかったことにする」のは、もしかしたら少し違うのかもしれません。
今日は、親との関係の中でご自身が感じてきた心の痛みや気持ちについて、話していきたいと思います。
〔上の再生ボタンから、音声を聞けます〕
皆さま、こんにちは。もしくはこんばんは。なりた心理相談室のなりたです。
今日もこの「聴く音声ブログ」にお越しくださって、本当にありがとうございます。
今日は「あなたが親から、されてきたこと」という、少し深いところに触れるお話をしてみたいと思います。
この言葉を聞いて、すっと身構えた方、少し緊張した方も、いるかもしれません。あるいは、「もう、その話はいいよ。過去のことだから」と、そう感じた方もいるかもしれません。
家族のこと、母親や父親のことを語るというのは、たぶん、この世界でいちばん語りにくいことのひとつです。「親がしてくれたことに感謝しなくてはいけない」「親のことを悪く言ってはいけない」──そんな空気の中で、いっそう話しづらくなることもあるでしょう。
だから今日は、あなたの心の内を、無理やり引き出すようなことはしません。この「聴く音声ブログ」を通じて、今あなたを悩ませているもの、苦しめているものの一端を、一緒に探していけたら。そんなことを思いながら、お話ししていきます。
今日、このお話を聞いてくださっている方の中には、こんなふうに思っている方も、いるのではないでしょうか。
「親のことは、もういい」 「もう、諦めた」 「終わったこと。今さら言ったって、しょうがない」
こうした言葉は、実際、カウンセリングの中でも、ほかの活動の中でも、私がたくさん聞いてきた言葉でもあります。どうやら「諦める」という言葉は、親子の関係を考えるとき、何か特別な意味を持っているようなのです。
そんな「諦めた」という言葉を聞いた上で、私が最初にお伝えしておきたいことがあります。
「もう諦めた」「昔のことなんて、もういい」「終わったこと」──そうおっしゃる方を、私は否定するつもりはありません。「本当は終わってないんでしょう?」なんて、そんな言葉を言うつもりも、今の私にはないのです。
諦めるということは、投げやりになることとは、たぶん少し意味が違います。
「親はいつか変わってくれるかもしれない」「母は、父は、いつか自分にしてきたことを謝ってくれるかもしれない」──そんな、これから先何かしてくれるかもしれないという期待を、自ら手放す。そうすることで、これ以上傷つかずにすむように、自分を守る。
それは、あなたが長い時間をかけて身につけてきた、心の守り方なのではないかと思うのです。
だから、その「もう、いい」という気持ちが、今あなたの中に本当にあるのなら、それはそれで大切にしていい。私は、そう考えています。
そして、同時に思っていることがあります。
私が、いろんな活動の中でお会いする方へ、いつも一貫して感じている気持ちです。それは、「よく、今日まで生きてこられましたね」という気持ち。
緊張感のある家。居心地の悪い家。常に気を張っていなければならない家庭の中で、よく今日まで生きてこられた。それは本当にすごいことだと、感謝にも敬意にも近い気持ちを、私は感じるのです。
だから、この音声を聞いてくださっている皆さまにも、改めてお伝えしたい。聞いてくださって、ありがとうございます。そして、その家庭環境の中を必死で生きてこられたことへ、私は最大級の敬意をお送りしたいと思っています。
その上で今日、ひとつだけ、ご提案してみたいことがあります。
それは、過去に起きたことを、自分の中で「終わったこと」にするのと、「なかったこと」にするのは、少し違うかもしれない、ということです。
親にもう何かを期待すること。許す、許さない。そうしたことも含めて、過去に親がしてきたことをどう捉えるかは、私たち自身が一つの選択として選ぶことができます。「意味づけ」と言ったりもするものです。
でも、その意味づけの裏にある、「あの時、自分は確かに辛かった」「本当に悲しかった」という気持ち。母親や父親にされてきたことの、仕打ち。そんな日々の中で感じていた、怒りや悲しみ、さらには恨みといった、確かにあの時感じていた気持ち。それを、「もう期待しない」「もう過去はいい」という言葉で押し込めてしまったり、消してしまったりするのは、また別のことなのではないかと思うのです。
多くの方が、自分がされてきたことの裏にある、本当に苦しかったという気持ちさえも一緒にして、もう感じないように、気にしないように、と、心の深い深いところ、押し入れの奥にしまい込んでいる。そういう方も、たくさんいるのではないでしょうか。
だから今日、私がお話ししたいのは、その一緒に畳み込まれてしまった、小さかった頃のあなたが確かに感じていた、そして今でもどこかで心の痛みとして残っている、悲しみや、怒り、恨みといった気持ちだけは──昔のことであっても、そっと今、押し入れから出してあげてもいいのではないでしょうか、ということなのです。
けれど、そうした文章を読んでいても、不思議なもので、なかなか納得できないことがあるんですね。
二つの葛藤する気持ちの割合を、円グラフで想像してみてください。この割合が50%、50%に近ければ近いほど、「こうすればいいよ」「こう考えてみましょう」という答えをもらっても、なかなか納得できないんです。
「親からされてきたこと」というと、すごく激しいことをされた場面を思い浮かべる方も、いるかもしれません。分かりやすい例で言えば、手をあげられたとか、壮絶な言葉の暴力を受けたとか。確かに、これまでの活動の中で、凄惨と呼べるほどの暴言や暴力を受けて育ってきた方にも、私はたくさん出会ってきました。
でも、今日お話ししたいのは、「されてきたこと」というのは、何も凄惨なことだけではない、ということです。
たとえば、いつも親の機嫌を伺っていた。自分の行動が、「楽しいから」「やりたいから」ではなく、母や父の機嫌を損ねないように、といつも考えて動いていた。家族の雰囲気が悪くならないように、ずっと気を使っていた。そんな方も、たくさんいたのではないでしょうか。
兄弟で差別的な扱いを受けていた、という方の多さにも気がつきます。片方は可愛がられるのに、私だけは違った。母がとても厳しかったり、父が暴力を振るっていたり。あるいは、父が母の機嫌を損ねないように、喜んでもらえるようにと、子どもである私が無邪気な子どもでいることを、押さえ込まざるを得なかった。まさに、親子が逆転しているような状態です。
何を言ってもケチをつけられる。そうなると子どもは自然と、「完璧でなければいけない」「そうでない自分ではだめなんだ」という考え方を、体全体に染み込ませるように信じ込まざるを得なくなります。褒められた記憶がほとんどない。父や母を思い浮かべると、いつも不機嫌そうな顔をしている。笑っていた時間より、何かあるとため息をつかれ、私のせいにされた時間の方が多い。甘えた経験が、思い出せない。
今、たくさんのことをお話ししましたが、こういうことって、心の奥の方で、「人には言ってはいけない」「言ったところで分かってもらえない」「昔のことなんだから、もういいじゃない。いつまで言ってるの」──そんなふうに言われたことで、自分の中にしまい込んで生きてきた、という方もいるかもしれません。そして中には、「それも、母や父なりの愛情だったんだ」と感じて生きてきた方も、いるかもしれませんね。
重要なのは、どんな仕打ちを受けてきたか、という、その大きさではありません。その時、自分が感じていた気持ち。家の中での振る舞い。それが、今日まで自分の人生に、どれくらい影響を与えてきたのか。
そして、その気持ちが、自分の中で癒されないまま、あるいは何か納得されないまま、「もう諦めた」「もう昔のことはいい」という言葉の中に、無理やり押し込められようとしている。その苦しさなのではないかと、私は思うのです。
「諦めた」と一言で言っても、その意味は、人によって本当に様々です。
「もう、思い出したくもない」と考えている方もいれば、「何十年経っても、母は変わらない。いつも悪口ばかり言っている。父も何もしてくれない、いつも無関心」──「いつか変わってくれる、もしくは謝ってくれるかもしれない」と、そう信じていたけれど、変わらないその姿に、諦めざるを得なかった。そんな方もいらっしゃるでしょう。
その一方で、「諦めた」という言葉で蓋をしていて、その蓋の中を覗けば、怒りや悲しみが、まだそのまま残っている。そうした相反する気持ちを、私は様々な活動の中で伺います。「今でも、母や父に対して、ふつふつと怒りが湧いてくる。ムカついてしまう」と。
もし、今のあなたが、そんな気持ちを抱えていたとしても、私はその気持ちを、なかったことにするつもりはありません。
そして、ここが今日、いちばんお伝えしたいところでもあるのですが──私は、今もまだ、怒っていいと思っています。今もまだ、悲しくて、許せなくて、ムカついて。そんな自分がいる、と思ってもいいと思っています。
それは、あなたが未熟だからでも、いつまでも子どもみたいだからでも、心が狭いからでも、ありません。それだけのことを、確かに、愛してくれるはずの家族から、されてきたからではないでしょうか。
「もう、いい年なんだから」「もう昔のことでしょう」「まだそんなことを根に持っている自分は、心が狭いんじゃないか」──そうやって、せっかく片付けたはずの怒りが、ふと湧き上がってくるたびに、その怒りごと、悲しみごと、なかったことのように蓋をしてしまう。そうやって、二重に自分を抑えてしまう。
でも、湧いてくるものは、湧いてくるのです。
それを理屈で、自分自身で押さえつけていると、その怒りや恨みの気持ちは、今度は内側に向いてきます。自分が情けなく感じたり、自分を責めるようになったり。自分で自分の心を、ずたずたに傷つけてしまう。
だからこそ私は、怒っていい、悲しんでもいい、と思うのです。湧き上がってくる気持ちに、理屈で蓋をしないで、そのまま少しでも、認めてあげてもいいのではないかと思います。
行き場を失った怒りや悲しみは、外に出せないまま、内側に向いてしまうことがあります。感情というのは、時に刃物でもあります。それが外に向けば、怒りや、誰かを責めること、暴れることとして出るかもしれない。でも、それを一心に自分の体の内側に向ければ、心も体も、疲弊してきます。落とし所が分からないから、自分を責めるしかなくなる。
何だったら、消えたくなってしまう。「なんで自分が生きてるんだろう」と、生きている意味さえ、一切合切分からなくなってくる。
もし今、これを聞いているあなたが、そんな感情を体の内側に抑え込んでいるとしたら、これもお伝えしたいのです。
あなたが今、消えたくなっているのは、疲れているのは、むなしくなっているのは──「なんで自分なんて生きてるんだろう」と、生きている意味も分からなくなっているのは、あなたが弱いからでは、私はないと思います。行き場のない怒りや悲しみを、たった一人で、自分の内側で消化できないまま、ずっとずっと、抱え続けているからではないでしょうか。
それは、弱さではない。甘えでもないと思います。長い間、たった一人で抱え込んできた。抱え込むことで、頑張らざるを得なかった。いわば、一つの、ご自身の生き方の証でもあると思うのです。
もう何回も同じことを言っているかもしれませんが、最後のまとめになっていきます。
私がこの音声ブログを通じてお伝えしたかったこと。あの時、確かに辛かった自分。そして今もまだ、どこかで親に対して、ふつふつと怒りを持っている、恨みを持っている。それを手放せずに、確かに感じている。そんな自分がいることに気がついている。どのようなあなたの状態であったとしても、私は、なかったことにしなくてもいいと思っています。
これは、親を許すために、ではありません。今、親がこの世にいなかったとしても。周りの人が「いつまで昔のことを言ってるの」「考えすぎだよ」と言ったとしても。それでも、今ありありと感じている、この気持ちを、なかったことにする必要はないと、私は思っているのです。
なぜなら、そういった気持ちを大切に認めてあげること。それができるのもまた、私自身だからだと思うからです。周りの人たちの言葉で、ご自身が本当に納得できるのなら、それはそれで幸せなことかもしれない。けれども、少なからず私が出会ってきた方々の語りを思い出すと──「諦めている」「もう昔のことを言っていたってしょうがない」、そう言っている瞳の奥に、また違った感情が、何か眠っているようにも、私には見えるのです。
一つだけ、付け加えさせてください。
「今も怒っていい」「今も悲しんでいて、恨みを持っていてもいい」──そうお伝えしましたが、それは「だから、親にぶつけてやりましょう」「誰かにはっきり言ってあげましょう」というふうに、話を持っていきたいわけではないのです。
あくまでも、自分の体の内側で、その怒りを、理屈で抑えるのではなく、怒りとして認めていい。そういうつもりで、お話ししています。
だから、その先──それを認めた上で、見つめた上で、実際に親とどういうふうに関わっていくのか。物理的に距離を置いていくのか。もう一切会わないという選択をしていくのか。それでも、これからも付き合い続けていくのか。それは本当に人によって様々で、この収録で一律に「こうしましょう」とは言えません。
でも、自分がされてきたことの痛みや悲しみを、なかったことにせず、大切に大切に見つめていくことで、今後、親とどのような関わりを自ら選択していく場合においても、「それを選択できた」自分に、心から納得がいく日が、もしかしたら来るかもしれません。
最後になりましたが──自分の感覚、自分が感じている気持ちを、なかったことにせず、少しでも感じてみる。もしかしたら、意識をしてみる。そういう習慣すら身につけられなかったくらいに、家族の機嫌を取り続け、怒られないように生きてきた。そういう方もいるかもしれません。
これを機会に、今、自分が何を感じているのか。その細かな心の動きを感じることが難しいのであれば、「今の自分は、いい気持ちなのか、嫌な気持ちなのか」。好きか、嫌いか。そんな二択から始めていくこともできるかもしれません。
それは、親との関わりだけでなく、ほかの人たちとの関わりの中でも、あの時の、親との関係の中で感じていた怒りや悲しみというものに、気づいていくことにつながっていくかもしれません。
最後まで聞いてくださって、ありがとうございます。
この、自分の気持ちや感情に気づいていくということが、ご自身にとって、最大級の優しさとなりますように。あなたが、あなた自身に、優しい関わりができますように。そんなことを願って、今日は終わりたいと思います。
どうもありがとうございました。
※文字の一部は、読みやすさのために編集を加えています